お気に入りで読んでいるこちらのブログにすごく素敵な記事が。

デマこいてんじゃねえ!

仕事をかんたんにする仕事/未来の「仕事」を考える(1)

コンテンツ産業が世界を覆いつくす日/未来の仕事を考える(2)

まだ連載は続きそうな感じですが、(2)を読んで思ったことがあるので、いつもの通りの浅い考察ですが一意見を書いておきます。


■消費できる時間の限界説を超える


件の記事での主張をざっくり書くと、

・農業や工業の生産性向上により余暇が生まれ、人はコンテンツを消費する(娯楽)にかける時間が増える

・なので、コンテンツ産業はこれからもっと重要になっていくし、それだけで食べていくことも可能になる

というのが前段の話。

ここまではまあよくあるお話で、こういった話が出るとまずついて回るのが、

・とはいえ娯楽として消費できる「時間」には限界があり、娯楽間で時間の奪い合いが始まる

という意見。

これはこれでもちろん事実で、将来のことなどではなく、今現在スマートフォンや既存ゲーム機との対比で語られることだったりします。

ところが、Rootportさんの視点が面白いのはもう少し先で、

・生産性の向上で余暇が生まれるのと同時に、食料など生産物の価格が下がる

・なので、生きるのに必要なコストが下がるからコンテンツ提供者は今までよりも少ない利益でも生きていける

という考え方。

「限られた時間の奪い合い」という単純な考え方から、「時間の奪い合いは変わらないけど奪わなくてはいけない陣地が減るからより多くの人が生きていける」という考え方はすばらしいし、これこそ産業の発展と呼べる状態だと思いました。


■本当にそんな時代は来るのか


で、真っ先に気になるのが本当にそんな時代は来るのかってお話。

モノの値段を決めるのはまず原価です。

生産者、販売者が食べていくためには原価以下で売ることはできません。

なので、原価が下がっていけば、販売可能な価格が下がっていくのは間違いないと思います。

一方で、これだと「下げることができる」だけで「実際に下がるかどうか」は販売者の気持ち次第です。

その気持ちはどこで決まるかというと、いくらだったら買ってもらえるのかというところが次に問題になります。

販売者が経済合理性を追求していけば、自分にもっとも利益が出るようにするわけで、高く売れるものをわざわざ安く売る理由はありません。

仮にコンテンツ産業従事者が安く買いたいと思い、かつ原価的には安く提供することが可能だったしても、その他の消費者が高くても買ってくれて、食料品などの提供者がそれで満足している場合には価格は下落しません。

最近の消費者優先のマーケティングとは逆の発想のようになりますが、提供者がコンテンツ産業従事者にも買ってほしいと思った時に、初めて価格は下がっていき、彼らの満足する値段で買えることになります。

端的に言うと、食料品の提供者にコンテンツ産業従事者は死んでもいいと思われてはいけないということです。

そうはならずに、コンテンツ産業従事者に生きていてほしいと思うのはどういうときかというと、それは彼らの提供するコンテンツをほかの産業従事者が求めている時だと思います。

なんともわかりやすいWin-Winですね。


しかしそう考えると、生産性の向上により価格が自然に下がっていくことを期待して、少ないファンに向けてコンテンツを提供していく、というスタイルは早い段階では成り立たないのではないでしょうか?

甘えとしての同人活動はだめだということです。

同人活動レベルでも食べていける時代というのは、そのさらに先の話で、まずはコンテンツが内輪向けではなく、ほかの業界の消費者へ、しかもより多くの消費者に気に入ってもらえるように成長していく必要がありそうです。

そうして、コンテンツ産業とその他産業のWin-Winの構造がきっちりとできると、さらなる価格下落が進み、若いクリエイターを育成するための投資として安価な生産品が世の中に出てくると思います。

Rootportさんはコンテンツ産業の発展の中で自然発生的にキュレーターが出てきていると書いていました(そう読めた)が、むしろコンテンツ産業の発展、他の産業と伍して渡り合うためにコンテンツの価値を高めていくキュレーターは必要不可欠であり、業界として育てていかなくてはならない部分ではないかと考えました。


ただ思ったことをメモしただけなので、こんな感じで。