典型的な日本国民の例にもれず、我が家も毎夜オリンピック中継に熱狂しております。

選手の皆様、本当にお疲れ様です。

さて、今回のオリンピックでネット上でも議論が起こっているのが、柔道のJUDO化を始めとしたルールとか精神に関する問題。

あとはなでしこジャパンやバドミントンにおける引き分け、もしくは負け狙いの問題。




なんでもかんでも一緒くたに語るのはどうかと思いますが、これらは全てインセンティブの設定の問題な気がしています。


■フェアプレーを引き出すために大会運営側にできること


まずは簡単な2位通過を狙った、なでしこジャパンやバドミントンの問題から。

問題として取り上げられている人たちが本当に2位通過を狙って、最初から引き分けもしくは負けを目指してプレーしていたのかは知る由もありません。

が、それこそ本気で金メダルを取りに行くという大きな戦略の中の一つの戦術として、途中の試合を負けておく、というのは起こりえたと思います。

で、これが誰のせいかというと、私は大会運営側の問題だと思います。

完全に擁護する形になりますが、なでしこジャパンの佐々木監督や失格になってしまったバドミントンの選手たちは、金メダルを狙うという大きな流れの中で、全力でプレーした結果が2位通過狙いだっただけではないでしょうか?

つまり、金メダルを目指すうえで、2位のほうが有利になるように設定されているからいけないわけです。

女子サッカーは非常に単純で、1位のチームは500kmの移動、2位のチームは移動なしと言われたら選手コンディションを考えたら、2位のほうがお得に決まっています。

2位を狙うことに強いインセンティブが働いてしまっているわけです。

それが嫌だったら、主催者側が逆にしておけばよかっただけです。

2位が長距離移動、1位が移動なしという形で順位とインセンティブを正当な順番にしておけば、無理に引き分け狙いなど誰もしないのではないでしょうか?誰だって勝ちたいし。

バドミントンに関してもよく知らんのですが、相手の利き手によって得手不得手が大きく変わってしまうスポーツとのこと。

だったら、予選リーグが終わるまで次のトーナメントでの対戦相手がわからないようにして、再度組み合わせ抽選を行う方式にすればよいと思います。

もちろん、他のもろもろの理由があって、今の制度が決まったのかもしれませんが、大会に取り組む選手やチームが何を目指してオリンピックに臨んでいるかをきっちりと把握したうえで、全員が全力のフェアプレーに臨めるように大会をマネジメントするのが主催者側の責任だと思います。

それをある程度放棄した形で、コートの上だけでの無気力プレーとやらを過大評価して失格にし、責任を一方的に選手に押し付けるのはどうなの?と思ってしまうわけです。

仮に、オリンピックの2位に授与されるのが金よりも高価なダイヤモンドメダルだったら、決勝戦で負けを狙う選手がいても不思議ではないですよね?

極論ですが、問題はつまりそういうことではないでしょうか。


■インセンティブを是正するルール改正の意味


柔道についてはちょっと微妙にほかの問題も絡んでくるんですが、まあ同じようなインセンティブの問題で語れるのかなあと。

一本を狙ういわゆる日本柔道がハイリスクミドルリターンで判定勝ちを狙う国際JUDOがローリスクローリターンなので、選手たちがみんなそっちに流れていったわけですね。たぶん。

これを防ぎたかったら、判定で勝った場合と一本で勝った場合に評価に差をつけて、インセンティブを設定すればいいわけです。

例えば、一本で勝った場合には次の試合に有効1ポイントのハンデがもらえるとか。

判定勝ちの場合には足に重りをつけて戦わなくはいけないとか。


まあそれはネタですが、仮に日本柔道を世界の舞台でももっと見たいし、世界中の選手に日本古来の一本柔道を目指してほしいのであれば、みんながそちらを目指したくなるようにインセンティブを設定するルール改正を目指すことだと思います。

F1と一緒です。

ときたまフェラーリの暴走を止めるために、恐ろしく理不尽なルール改正を行っていますよね。

そう考えると、そもそもの判定重視の流れが強すぎる日本柔道を止めるための措置であり、判定重視になったことによって世界のJUDO人口が増えたのだとすれば、間違った流れではないのかもしれませんね。

より重要なのはここからどちらに向かっていくのかです。


■柔道選手よ、ウルトラマンを目指すのだ


さて、フェアプレーとインセンティブに関する問題はここまでですが、もう一つ関連して書きたい話が。

それはエンターテイメントとしての柔道という話。

柔道が一本狙いのものから判定狙いになっていったのは前々から知っていたのですが、それにしても今回の五輪では判定狙いというよりは指導狙いって感じですよね?

相手を一回も投げることなく、相手の指導の積み重ねで銅メダルを取るのって嬉しいんですかね?

少なくとも一観客としては見ていて全然面白くないです。

有効や技有りで勝つのは全然よいと思います。
ただ、指導の積み重ねというのはなんともつまらないと思ってしまいます。

サッカーで一本もシュートを打たずに、ファールの数で勝敗が決まるようなもんですよ。

そこはせめてPKをしてくれ、と観客としては言いたい。


先ほど、判定重視の流れが世界のJUDO人口を増やしたのでは?とか書きましたが、この指導重視の流れは世界の選手や観客にとってどう映ってるんでしょうね?

これで非常に見ごたえがあった、楽しかったという意見が優勢ならば、私はもうJUDOは観戦しないでしょう。


柔道は精神としては武道であり、一本重視、礼節重視の日本の流れがあります。

そこに加えて、柔道はスポーツとしては現在の国際的な判定重視の流れがあります。

さらに柔道をエンターテイメントとしてとらえると、選手たちにはより見ごたえのある試合を演じる責任があります。

別に押し付けているわけではなく、観客やファンが落としていくお金というのは誰よりもまず選手たちにとって必要なものだと思われるので、そういう側面も必ずあると思います。

そうなってくると、私個人としては今の指導重視の流れというのは早い段階でルール上断ち切ってほしいと思う。

道とか美学とかいう抽象的なものではなく、単純に興業として。


ここからはさらに個人的な感覚の話になりますが、やっぱり格闘技の選手に求められるのはヒーロー性だと思うんですよ。

強くてなんぼ。でもそれ以上にみんなの見ている前で敵をスカッと倒してこそのヒーローなんですよ。

如何にウルトラマンが安全に効率的に地球を守ってくれたとしても、ローキックばかりの地味な戦いをしていたり、怪獣が生まれる前の卵の状態で宇宙に捨てに行ったりしたら、地球の平和は得られるかもしれないけれど、子供たちの声援は得られないのです。

かといって負けるのは論外です。かっこよく戦ったけど地球は滅亡しました、というのでは笑えないですよね。

無理を承知で言いますが、まず勝つ。そしてその次はかっこよく勝つ。

時間制限ギリギリに繰り出される、必殺のスペシウム光線ならぬ、必殺の内股。

この結果とプロセス双方において観客を魅了してこそのヒーローだと思うのです。


柔道関係者の方々には、ぜひそんなウルトラマンのようなヒーローが登場する、あらゆる角度から素晴らしい柔道(JUDO)という競技を作り上げていってほしいと思います。

そして、日本柔道の選手の皆様には、どんな不利なルールだろうとあえて一本で勝つ。

逆境に立たされて奮い立つヒーローのような存在を目指して、結果とプロセスを突き詰め行ってほしいなと勝手に願っている次第であります。