「バカな子ほどかわいい」という歴史的な名言があります。

自分はどちらかというと素直に優秀な子ほどかわいいと思えるので、イマイチこの感情は理解できないのですが、賛同される方もいらっしゃるのではないでしょうか。

別に個人の趣味嗜好の範囲内で、こういった感情を持つのは大いに結構なことなのですが、いわゆるベンチャー企業の端くれたる私が所属している企業でも人材に対する評価に、この「バカかわ」的な思想が入り込んだりしているので困っている次第であります。

というのを最近お気に入りの下記のブログ、


を読んでいて思い当り、こういった「バカかわ」を重んじる風潮は何ともヤンキー的だなと感じたので、そこを真正面から否定する流れで考えてみたいと思います。


■感情論として成り立つのは理解できる「バカかわ」

さて、この「バカな子ほどかわいい」という考え方。
誰が初めに言い出したのかは知りませんが、非常に言いえて妙だなと思います。
バカという表現の定義があいまいなので、まずは最初にかわいいと褒められるバカとはいったいどういうものなのか考えます。

一つに、バカ=手がかかる、の婉曲的な表現であるという説があります。

優秀な子は1教えれば10を知るものなので、10教えても2とか3しか理解してくれないバカな子はなんとも手がかかる存在であるといえます。

が、これがかわいいと。
おそらく、愛着がわくという類の感情なのだろうと思います。

よく子どもを産んだ母親は父親よりも自分の子どもに対して愛情を強く持つなどという男性差別かと思われるような通説がありますが、それと一緒です。

産むまでに10ヶ月も時間を要し、つわりと闘い、ずっと支え続けてきた我が子ですから生まれてきた後のかわいさは、その苦労に比例する形で増すのでしょう。
手がかかるほどかわいいというのはこれと同種の感情ではないかと推察できます。

もう一つ、バカ=バカ正直、よく言うと素直だからかわいいという説もあります。

こちらも優秀な子と違って想像力や深い部分での理解力に欠けるバカな子は、会社ですと上司の言うことを鵜呑みにして個別のケースにアドリブで対応できないので失敗ばかりするわけです。

まあ失敗ばかりしているうちはかわいくもないのでしょうが、優秀な子と違って上司が言ったことだけをしているので、たまに成功などしようもんならそれは全て上司の指導の賜物ということで、このあたりがバカ正直な子のかわいさの源泉ではないでしょうか。


■バカな子よりも優秀な子の方がいいに決まっている

と、感情論ではそういった「バカかわ」に流れるのも理解できなくはないですが、特に成果主義を標榜し常に熾烈な競争を強いられているベンチャー企業においては感情論での人材評価など行ってはならず、そこはまあ順当に客観的に評価するべきだと思うわけです。

バカな子よりも優秀な子の方が会社にとって多くの利益をもたらす理由としては以下の通り。

まず、「手がかかる」社員というのは優秀な社員よりも教育コストがかかっているということが言えます。

先の例で行きますと、1を言って10を知る優秀な社員に比べて、10を言って2しか知らない社員を10まで知らせるためにかかるコストは実に優秀な社員の50倍です。

話はそれますが、その社員が会社にとって価値があるか否かは往々にして、どれだけの利益をもたらす存在かで考えるべきだと思います。

これは会社の目標を極めてシンプルにすると、それは利益を出すことであり、会社に人が介在する以上、一人当たりがもたらす利益の総計が会社の利益になるからです。

もちろん営業と事務など全く違う職種間では比較することに意味はありませんが、少なくとも同職種間では通用するはずです。

なので会社にとって最も重要な利益を生み出すという観点からは、同じ売上を上げる営業なら手がかからない方がコストが低く、逆に利益が多いからいいんです。

次に、「バカ正直」な社員というのは管理コストがかかっているということが言えます。

いわゆる優秀な社員は自分で考え、自分で行動できるので、たまに目をかけてあげればいいのですが、バカ正直な社員はそうはいきません。

基本的には言われたことを忠実にこなすので、状況が変わってきても上司がストップをかけてあげるまでは止まりません。

なので上司がより時間をかけて監視したり、指示したりしなくてはならず管理コストがかかることになり、結果として優秀な社員に比べ利益を損なうことになります。

上記二つ、教育コストと管理コストの存在により、バカじゃない子の方が会社に利益をもたらすという至極当たり前の結論を共有しておきます。


■バカな子をかわいがるときに陥りがちな罠

ここまで明白なのに、なぜにバカな子がときに判断を狂わせたような厚遇を受けることがあるのか。

単純な数字のマジックにあるんじゃないかと常々思ってきました。

それは評価するときの単位の違いであり、勘違いとも言えます。

上記の通り、優秀か否かは社員が会社にもたらす利益の総量で評価されるべきです。

そしてこれは過去や現在だけの話ではなく、未来においても同様です。

過去に生み出した利益の量はその人間の成果として評価され、逆に現在の能力値から想定できる未来に生み出すであろう利益の量はその人間への期待として評価されるべきです。

ところが、多くの場合バカな子は「最近成長している」などという感情むき出しの目が曇った上司による一見論理的かのような一言で高い評価を受ける場合があります。

成長しているとはどういうことかというと、今までに高い能力を持っていなかったので、そりゃあ成長する余地は優秀な社員に比べて多分に残っています。

なので成長するのはいいことだと思いますが、過去において低い能力がもたらした負債を忘れてはいけません。
最初から利益を生み出していた優秀な社員に比べて損益分岐点に到達するのはまだまだ先なのです。

また、急成長したからと言ってそのまま成長し続けることが出来るとは限りません。

テストの点数などに例えてもいいですが、30点を60点まで引き上げるのは簡単であり、80点を95点に引き上げるのは難しいと言われます。

成長率で見てしまうと当然に60点の方が当社比200%という洗剤のような数字になりますが、結局受験で勝つのは後者の方です。80点のままサボっていてもです。

「バカな子ほどかわいい」と頻繁に飲みにでも連れて行くのは個人の自由ですので、存分にやってもらって構いませんが、会社の行く末を決める役職や配置については今一度冷静な目を持って、上司諸氏には考えていただきたいものです。

以上、あんまり上司にかわいがってもらえない人間のやっかみでした。


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