先日、久々に死刑が執行されたらしい。


それをきっかけに死刑制度に対する是非の議論が大流行。

「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と書いた人に訊きたい 

上記の文章は私の中でかなりのお気に入りで、世の中的にもだいぶ話題になった。

せっかくなので自分の考えもこの機会にまとめておきたいと思います。

前置きしておきますと、私は名門、慶應義塾大学の法学部を一応卒業しているが、授業の内容はほぼ1回も聞いたことがないので、そのへんはずぶの素人です。

なので法律論みたいなのは期待できないので、そういうのが好みの方は早々にお引き取り願いたく。


■死刑制度は基本的人権を侵害する?


死刑制度反対派の方がよく言っているのが「死刑制度は基本的人権を侵害するもの」という主張。


基本的人権すらよくわかっていないので恐縮だが、誰にも生きる権利はあるので、罪人とはいえ、その生きる権利を奪ってはならない、ということらしい。

基本的人権を侵害するのはよくないことっぽいのだが、仮に死刑を廃止したとして最高刑は無期懲役になるのだろうか?

無期懲役=一生塀の中に入っていなさいという命令が、果たして基本的人権を侵害しないのかは疑問だ。

正直、自分が何もしていないのに、一生監禁とか誰かに言われたら、人権侵害を叫ぶと思う。

なので、そんな個別の水掛け論はちょっと無視して、もう少し社会全体で死刑の存在がプラスになるかどうかで判断すればいいと思ったり。


■死刑制度があることの効果は?


そもそも刑罰はなんのためにあるのか?

罪を償うため、というのが一般論かもしれないが、私はちょっと違うと思う。

どちらかというと犯罪の抑止力として、刑罰は存在するのではないでしょうか?

よって、仮に死刑を廃止した時に、死刑を恐れなくなった犯罪者によって、凶悪犯罪が増えるようであれば、やはり死刑はあった方がいいということになる。

死刑に処される罪人の人権問題ではなく、より良い社会にするためにである。

この犯罪抑止の観点で見たら死刑はどうなんでしょう?
一度社会実験して効果を見てみたらよいと思う。


■死刑がなくなったら社会的なコストは?


また別の話として罪人を刑務所に入れておくコストがある。

死刑がないとなると、おそらくその人は一生刑務所に入っていることになるのだろうから、もしそこにコストがかかっているのであれば、コストの増大が懸念される。

本来であれば、罪を償わなくてはならない人に、血税をつぎ込んで養ってあげるというのはちょっと違う気がする。

そこに払う税金があるのであれば、それは遺族の補償に充ててあげたい。


と思って調べてみたら、同じような質問がわらわら。
みんな同じようなこと考えますね。


こちらによると懲役刑にはコストがかかってないとの主張。

対して死刑は執行前まで働かずに、税金で面倒見るのでコストがかかると。

これが本当ならお金だけで考えると死刑は廃止した方がよさそうですね。

とはいえ、執行まで懲役+死刑という新たな組み合わせを導入すれば即解決なのであまり意味ないか。

やっぱり死刑は別にあっても問題ない気がする。


■死刑より重い刑罰は存在しないのか?


やっぱり最初の抑止論の観点から見た方が、死刑の存続・廃止の議論は建設的な気がします。

しかし、単なる抑止力の一種として見るならば死刑にこだわる必要はありません。

むしろ死刑が存在しても犯罪はなくなってはいないわけで、犯罪抑止の観点からは死刑よりもさらに恐怖を呼び起こす刑を考えたいところです。

そうすると想起されるのはまさに「生き地獄」なわけですが。

果たして拷問のような責め苦は基本的人権を害しないのか?という議論になり堂々巡り。

何とも難しいですね。



■結論は先延ばし


まとめますと個人的には別に死刑があってもいいと思います。あって私個人は困ることないですし。

ただし、より罪が重いはずの死刑囚を税金で養うような状態は避けなければならないので、ぜひ死刑執行までの懲役期間を導入してほしいところ。

さらに、犯罪抑止の観点では死刑よりも抑止力を喚起できる刑が思いつけばその導入を検討したいですね。

ベストなのはその新しい案がそこそこ人道的であり、抑止力、人権問題どちらから見ても死刑より優秀、という流れです。

そうすれば何の問題もなく死刑を廃止できるなあ、と考えるのは夢物語でしょうか。